自分のことをちょっとだけ書く 解離性障害のこと
今日はちょっとだけ自分のことを書く。
私は、解離性障害の症状がある。
そのことを少し説明する。(難しいけれど)
人はみんな多面的だと思う。周りにいる人やその場の環境に合わせて、行動やコミュニケーション方法を変えることができる。それは適応能力と言われるものなのだと思う。
それが私の場合、適応というより元々の枠を大きく外れたようなことが起きる。
断言はしづらいから、「起きているようだ」くらいにしたほうがいいのかも。
どう表現したらいいか悩むけれど、とりあえず文章にしてみる。
私には複数のワタシタチがいる。そのワタシタチそれぞれは今この文章を書いている私からちょっと距離がある。特徴もバラバラだ。
この文章も、そのワタシタチの中の1人に2人に見守られて、そして助けられて書いている。
今、この文章を書いているのが夜中だ。明日、朝起きて、この文章を書いたことを覚えていないかもしれない。そういう可能性がある。
今までも、そういうことが多々あった。
記憶が飛ぶ。覚えがない。でも書いた文章はある。
本当に不可解なのだけれど、私にはそういう経験をしてきた。
一番怖かったのは、自分が書いた修士論文が自分が書いたとは思えないことだった。提出してほんの3か月後くらいのこと。
「これ、本当に私が書いたのか?」
全く覚えていないわけではない。でも実感がない。
どうやって章立てしたのか。どうやって引用箇所を決定したのか。
そして、今私が一番理解に苦しんでいるのは、
「なぜ博士課程に進んだのか」ということ。
確かに、論文を書くことへの憧れがあったようには思ったけれど、自分にさほどのモチベーションがあったように思えない。
もちろん進学を決意したのは私なんだけれど、私じゃないともいえる。
おそらくワタシタチの誰かがカギを握っている。
私はワタシタチに問いかけている。
だれだよ!博士課程に進学して論文書こうって言いだしたのは!!
だれも答えない。
そういう感じ。
私がワタシタチを抱えて生きていることに気付かせてくれたのは、
カウンセラーさんのおかげだ。
カウンセラーさんに助けてもらおうと思ったのは、ワタシタチ関連ではなく、仕事と大学院の両立で疲弊した状態をどうにかしたかったからだ。
どうしたら混乱した自分を立て直せるか、ヒントみたいなものがほしかった。
でも、問題は思った以上に複雑だった。
カウンセラーさんとの付き合いは1年半以上になる。
ずっとずっと辛抱強く私の話を聞いて、ワタシタチのことを気づかせてくれた。
今日はここまで。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。