かおるあきこ生きてますログ

日々のログです。僭越ながら意見を申し上げることもございます。

自分のことを少しだけ書く 解離性障害のこと<その2>

この記事にアクセスしていただいてありがとうございます!

 

前の記事で私には解離性障害の症状があることを書きました。

 

tobehonest1234567.hatenablog.jp

今回はその続き、というか付け足し。

この付け足しはどれだけすればいいのか分からない。

果てしない作業なのかもしれないけれど、今、分かっていることを少しずつ文章で表現していこうと思っています。

興味を持って読んでいただけると嬉しいです。

 

私には、複数のワタシタチがいる。

それをスマホのイラストアプリMoooneで表現してみた。


ひょっとしたら他にもいるかもしれない。
今認識しているのは、このようなワタシタチだ。
 
私のように複数のワタシタチを持っている人たちの中には、
それぞれに名前があると考えている人たちもいる。
私のワタシタチには明確な名前みたいなものはない。
ただ各々が性格や特徴を持っているということは分かる。
ちなみにこのブログを書いているワタシはこの人だ。

便宜上、ピンク眼鏡の私としておく。
この、ピンク眼鏡の私から見て、他のワタシタチの紹介を書こうかと思ったけれど、
「ワタシタチにもプライバシーがある」と拒まれたのでやめておく。
私がワタシタチに配慮する。こういうことがよく起きる。
この感じが「解離」なんだと思う。
 
複数のワタシタチを抱えて生きていくことは気苦労が多い。
人と接している時にどのワタシが出てくるのかコントロールに迷う、または予想がつかなくて困る。
あるワタシがやったことを、別のワタシが理解できなくて途方に暮れる。
あるワタシと別のワタシの感情がずれていて、自分の気持ちが分からなくなる。
 
一番困るのは、人と協力して何かをやっている時に気が遠くなっていくような感覚があること。どのワタシもちゃんと機能しなくなる。
これを私は「ぼんやり現象」と呼んでいる.
本当ならばしっかり人の話を聞いて、応答しなければいけないのに、目の前そして頭の中全体がぼんやりする。
牛乳瓶の底越しにモノを見ているような感じ。
自分自身が、理科の実験で使うシャーレに閉じ込められたような感じ。
 
そして自分を内側から眺めているような言葉で頭がいっぱいになる。
「あぁ今、私はこの人と話をしているんだな」
その声に対して、だれかのワタシは
「いや、そんなのんきなこと言わないでさ。ちゃんと話聞こうよ!」と焦る。
でも、ぼんやり現象が消えるのは自分一人になってから。
 
相手からどんな風に見えているか分からない。多分、気が散っていることは伝わってしまっていると思う。申し訳ない。
ただ、ぼんやり現象が起きた後すごく疲れてしまう。文字通りバッタリ倒れる感じ。
 
ぼんやり現象とどう付き合えばいいのか、なぞです。
 
 
今回はこの辺で。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。